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葵紋(aoi-mon)
2008-08-17 Sun 19:17
善光寺紋(本多立ち葵紋)


タイトルに『葵紋』であるが日本では長年、テレビドラマで有名な『水戸黄門』の徳川葵しか皆さま、ピィンートこないような感があるので、敢えて違った角度で触れてゆきたいと思う。2008.8.8北京オリンピック、真っ只中だ。いざ、開会すると日本選手は次々とメダルを獲得している。日本に聖火が回ってきた時は一体どうなる事やらと・・・・・・・・・・。

そう!長野県の善光寺をスタート予定であったが、それは残念な結果にはなったのだが。阿弥陀如来像様は何を考えていたのだろうか。如来は絶対平等の知恵であり、あらゆる衆生を教え導く。宗教・文化も国が違えば異なることは当り前である。いかに民族を越え尊重し合えるかに限るに尽きると思う。私的に言うと武術の道でも、己の師匠の型を破らなければ、そこで可能性は終わると言うことである。浄土の信仰の中でさえ法然の師弟にあたる一遍も新しい教えを説いている。
念仏は唱え広めるもの、又、こころにて唱えるもの。正直、私にはどっちらでもよいというか、強制されることがないものを信仰だと考えてます。

さて、話が逸れましたが葵のご紋がテレビの影響で1番強いと思ってる方がいるので、それはそれでよしとし、徳川殿のご先祖は!?祖が三河国松平郷に入り松平氏を相続し、家名を名乗り家紋も受け継ぐと考えてよいと思う。上野国新田郡徳川郷・清和源氏新田氏族・縁にて賀茂郡松平郷の地名を一時負ったのだ。そーなると、本来、徳川の紋とは『新田一つ引紋』又、日光東照宮に使用されている『銀杏紋』の両説か。葵紋禁止の中、本多一門だけは葵紋を押し通した。当家は神代以来、京都の賀茂神社に奉仕する賀茂族である。そー考えると説明が付く。家康公は本多氏から葉だけを貰
ったことになるのだ。『善光寺紋は丸付きがない本多立ち葵紋』、本多善光、本多平八郎忠勝たる方は、よっぽど自覚・覚悟を強くお持ちになっておられたんだろう。

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桜紋(sakura-mon)
2007-12-14 Fri 19:17
護国ノ馬(山桜紋)


桜は日本人にとって切っても切れない結びつきがある。朝日ににおう山桜、吉野の千本桜、京都丸山の夜桜、武士道にはかかせない散り行く若桜・・・・・・。これらは桜に宿された日本人の心情だろう。最近の歌でもそうだが桜という言葉だけで日本人は互いに通じあう共通の場を持っているようだ。
家紋にも真っ先に使用されたのも当然である。桜紋の種類は約百種はあるのではないか。先ず原形をあげるとハート形五弁の『桜紋』と花弁の先に刻みの入っている『山桜紋』。桜紋の方は蕊が多彩に変化し、使用家で特有の名が
付いている。『細川桜紋』・『小出桜』・小山桜など。

ここで数年前、確かテレ朝の単発ドラマで倉本總さんの脚本で石原プロモーション製作で『祇園囃子』という番組を観ていて渡哲也さんが藤原紀香さんに役の上でこんな台詞を言った記憶がある。
「お嬢さん!貴女のお着物の家紋を私のマジックで当ててみせましょう」「えっ!?この家紋は珍しい家紋と聞いていて当たりませんよ」「小出桜じゃあありませんか」
私も、既に記憶に薄いのでまあ、こんな感じだけということでお許しください。確か二人の関係は秘密にされて居るのだが実の父親だったような気が・・・・・

このドラマを観ていて実に脚本の中に家紋の大切さが
ちりばめられていたように私は感じた。

山桜の方は『桜井桜紋』・『大和桜紋』・『葉付桜紋』・など。『九曜桜紋』・『桜浮線綾紋』などは、中世の貴族の衣装にある文様に一つである。

確か、大阪の帝国ホテル界隈の開発プロジェクトの際、豪華なフリーペーパーの表紙はこれらの桜の文様がちりばめられて居たように思う。

桜紋で有名なのは、細川、花木、桜井、吉野、千石、小出、吉田、小栗の諸氏。
細川氏は清和源氏足利氏族、三河国額田郡細川村発祥の名族。頼之・勝元などの名将や幽斎をだした。足利氏だから、「桐」・「二つ引両」も使用するが風雅紋つして替紋に用いる。

桜井氏は藤原北家水無瀬家のほか松平氏流の桜井氏、清和源氏武田氏流の桜井氏、宇多源氏流の桜井氏ほか異流が多い。

桜紋を「散る」に掛け避けた見方だが、「茂る」桜もある。元首相・吉田茂は桜紋である。戦時中、憲兵に監禁されたが耐えた。戦後、日本の復興のため第三次吉田内閣までふんばった。

ここで一句『名はさくら 物の見事に散らん
                      和勧』
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輪宝紋(RinbouMon)
2007-04-03 Tue 01:12
(naritarinbou-mon)


上記画像は千葉県にある成田山 新勝寺の宗紋『成田輪宝』であるが、とても複雑な華やかさを感じる。

車の輪に、その下は「宝」の文字だが只の車ではなぃ。

インドでは広範囲にこの印がみられる。大形の人の背タケにレリーフ形に彫ってたりする。

法の車でこれがまわり、真理が開かれる事であろう。やがて日本に渡り、法具になり輪法と転じ、この紋は、寺の屋根・仏具・仏典などにそえられたりする。

尊ぃ仏の印(シルシ)と考えてよぃが、卍(注連縄)や蓮や金剛杵などもある。

特に密教法具としての感が強い。※巷の占いなどの一部でもある。

古代インドでは実際に戦場にグルグル回転する武器であったらしい。

仏教は真理を廻らす意が抽象化され偉大な人格者を転輪聖王というようだ。

日本では仏具には飾り・呪符・加護の印である事は勿論で最も古いものは、

奈良 薬師寺の仏石にみられる。尊ぃ足を修復する為の印で習俗はインドやスリランカの仏足石のも、これらが付ぃている。

日本の寺院には『天台宗菊輪法』・『真言宗輪法』・『大日輪法』などがそれである。

形は車輪形で八方に放射状から中心に輪に向かって出ている支え木が出ている。均整バランスがとても美しい。

備前児島郡三宅庄からの出自の児島氏は児島高徳として有名である。

三宅連から出た名族で聖護院に所属・修験道の本山である。

児島一族はこの法器を家紋とした。高徳は架空の人物であろうと歴史家は言うが三宅氏の後裔である児島が輪法紋を使用した事は違えなぃ。

江戸時代には三河田原城主の三宅氏が踏襲し現在も備前。備後・讃岐・をはじめ瀬戸内海地方にかなり広がりをみせる。

清和源氏の佐々竹氏・漆戸の諸氏・下曽禰氏・三善氏流の布施氏・加納・松本・塩入氏や藤原氏頼道流の津軽氏など。

多くは仏者関係が使用紋である。

「太平記」から桜木に十字の句を刻った。

天 莫 空 勾 踐 時 非 無 茫 蠡
          是以天皇(^^)


  

    

   
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