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2006-11-29 Wed 00:00
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![]() 『民生新聞(864号)抜粋』筆者は、戦後、東北の創業百年にもなる新聞社で論説を書かせてもらい、米軍の、 占領下で進駐部隊長や各将校と話す機会を得て、アメリカという国が、 いかに記者を大事にするかを知り、敗戦の中にあっても新しい希望を持つ事が、 出来た。 そして以来60年私にはこの世界は、どのような人物によって創られ、また、 牛耳られているかを知りたいと思っていた。 何せ戦前全体主義思想の盛んだった時代に学んだ人間であるから、戦後の民主主義 思想を、体得するには相当の年数をかけざるを得なかった。 本来思索し始めるとどこまでも追求に追求を重ね、体得するまでにならないと納得のいかない、 愚かな性分である。 手当たり次第、関連の書物を読み漁り且つ考え探求し続けた。 そしてこの不体裁な小新聞を発行して60年思索を続けている。 仕事がら現場に行かざるを得なかったが、本来の性格はフランツ・カフカの、 ように家から職場まで何百米の処を往ったり来たりして生涯を終えるという、 生活様式に自然になってしまう。 このような人間にはこうした中で世の中に貢献できるものなら貢献して、 いく以外にないのである。 読売新聞社長室で評論家馬場恒吾に、 「君は背の丈ほどになる高さまで原稿を書きためなさい。そうすれば、 或時期から一気に世に出ることが出来るよ」と立ち上がってあの、 容貌魁偉な顔に笑みを浮かべ教えてもらったことが忘れられない。 (当時、社長の正力松太郎氏は戦犯容疑として、巣鴨の、 拘置所に拘留されていたから、その間信頼する馬場恒吾氏 に、 社の経営を託していた) 柿の木坂の馬場先生の自宅に家族ぐるみでお訪ねさせてもらい菊池寛などがよく行った小田原の「柏又」という、 「うなぎや」の話などをしてくれた。 その頃小学生であった長男英偉が柏又の話をよく覚えていて柏又に行く度に、 馬場さんの話が出てきた。 その長男 英偉 が今では、六十になり国際福祉医療大学病院で、内科の教授をしている。 もう一つやさしい馬場さんは、女房の草賀類子の詩、 『山繭』を週刊読売の編集長松尾邦之助氏に紹介してくれ、掲載させて戴いた。 松尾邦之助氏はフランスのレニオンドヌール賞を、 受賞して当時一世を風靡していた哲学者のサルトルなどとも、 友達であった。 私がフランス文学を読み耽るようになったのは松尾氏の影響があるのだろう。 フランスでは、林芙美子の世話もしたらしかった。 思わぬところで宣伝になって申し訳ないが、要はレベラリスト馬場恒吾や、 松尾邦之助は本物と言える人たちであったということである。 |
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2006-11-10 Fri 19:44
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蝿のDNAの数が、我われ人間とあまり違わない。
そして、あと幾つか未解明の記号が解明されれば、全部解明された事になると、 言った明るい?ニュースが流された事がある。 科学に疎い人間はこんな話を聞くと、直、納得してしまうのだが、 実際その世界で格闘している研究者達は、世界中でそれぞれの研究者が、 独自のテーマで取っ組んでいるのだが、実にタンゲイスベカラザルものが、あって… ということは、次々と新しい実験などによって新たに事実が発見されて来るので、 とても追いて行けないというか、数式で解こうにも数式もないといった状況で、 サジを投げるというのだ。 こうした事は、素人にとっては更に大きなおどろきになってしまう。 ナノ(十億分の一)の世界で研究がどんどん進み、医学界から小売の化粧品等の、 中まで盛んに、利用され有難がたがられているが、この否定面については、 国家の行政機関でも担当部署がないという。 所謂、効用面… 金儲けや軍事面では、活用されているが、かつて、戦後、アメリカ軍から、買った DDPが子供の頭や衣類などに、たかったノミやシラミ退治に抜群の効果が、 あって助かったのだが、実はそれが自然の芽をつんでしまう猛毒が含まれていると、 いうので大問題になって使用中止になった。 最近では、石綿(アスベスト)による被害の拡散、どこまで広がって行くか、 わからない。 国家が早い段階で担当部署を設け、チェックしないと極微の世界だけに、 将来、取り返しの出来ない事態が起きないとは、保証出来ない。 |
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